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病院の沿革

 山陰地方の産業の発展に伴う労働災害に対する医療の充実を図るため、昭和29年に至って鳥取大学医学部を中心に労災病院誘致の機運が高まり、昭和34年に鳥取県と米子市が共同して労働省及び労働福祉事業団に対して労災病院の設置を要望した。

創 立

 労働福祉事業団では、昭和35年現地調査を行うなどして調査検討を行った結果、米子市皆生温泉に第29番目の労災病院を設置することに決定した。建設工事は昭和37年1月に開始され、翌38年4月に完成し、6月1日に開院式、6月5日に内科、外科、整形外科、皮膚泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、理学診療科の7診療科、病床数200床をもって診療を開始した。

第一次増改築と機能整備

 医療需要の要請に応えるため、昭和44年から45年にかけて第一次増改築工事を行い、検査部、リハビリテーション部、人工透析等の諸施設を拡充し、300床に増床した。診療科は放射線科、神経科、麻酔科、脳神経外科を漸次加えた。
 昭和52年1月に特殊健康診断部を発足し、有害業務従事者に対する診療体制の整備充実を図った。

昭和52年1月に特殊健康診断部を発足し、有害業務従事者に対する診療体制の整備充実を図った。

第二次増改築と機能整備

 昭和54年から59年にかけて第二次増改築工事を行い、既存部分の全面改修及び新本館(管理部門、外来部門、病棟部門、手術部門、薬剤部門、放射線部門、検査部門、腎センター門等)を新築すると共に、神経内科、歯科を新設し、漸次410床に増床した。平成2年1月に心臓血管外科を設置し、循環器疾患に対する診療体制を強化した。
これにより当院の5本の柱、中枢神経、循環器、消化器、腎代謝、骨関節の診療体制の基礎ができた。この頃、国道431号線や米子自動車道などの整備により、病院周囲の宅地化が急速に進み、地域の中核病院としての期待が一層高まると同時に、患者さまの病院に対するニーズが変化し多様化してきた。

第三次増改築と機能整備

 平成7年から8年にかけて中規模増改築工事を行い、外来棟及び東側病棟など一部拡張を実施した。また、勤労者医療の充実とともに患者さまのアメニティーに応え、病診連携等の地域医療への充実を図った。

第四次増改築と救急体制整備

 平成13年2月から10月にかけて救急棟を増築し救急医療体制の整備を図った。

救急外来棟増築と救急体制整備

 平成13年2月から10月にかけて救急棟を増築し救急医療体制の整備を図った。

機能整備とIT化

 数年をかけて病棟機能を整備した結果、一般病床は394床になった。病院IT化計画により平成20年4月より医療情報システムを導入した。まずオーダリング、次いで画像配信、電子カルテと順次整備し、平成21年4月から全面稼働となった

救急部・集中治療室の整備

 平成20年7月救急部を設置すると共に、3階病棟に集中治療室8床および救急入院専用病床20床を新設し、重症患者管理と救急入院体制を充実した。これにより病床数は383床になった。
 また、より広範囲な重症患者を受け入れる目的で平成22年8月よりICUをHCUに名称変更をした。

第五次増改築と小児科及び産婦人科の新設

 小児科、産婦人科の開設に伴う南棟(仮設棟)の増築及び第二放射線棟、第一エネルギー棟の増築
 当院の位置する鳥取県西部医療圏における分娩の取扱いは、鳥取大学医学部附属病院をはじめとする2病院、5診療所で対応していたが、内1病院がお産の取扱いを廃止し、かつ小児科も順次縮小することとなったことに伴い、鳥取大学より関連病院を集約化するとともに、山陰労災病院に小児科、産婦人科を設置して総合病院とすることで臨床研修機能を充実させ地域に残留する研修医を確保し活発な人事交流と連携を促進したいとの意向を受け、小児科及び産婦人科を新設することとなり、平成25年9月から平成26年2月にかけて小児科、産婦人科の病棟・外来が入る南棟(仮設棟)を増築した。
 さらに、老朽化した訓練棟(体育館)を平成25年7月から平成25年8月にかけ取り壊し、そこに新たな第二放射線棟及び第一エネルギー棟を平成25年7月から平成26年6月にかけ増築した。

地域包括ケア病棟の導入

 平成28年度診療報酬改定への対応、及び急性期医療から在宅復帰に至るまでの一貫した医療を提供し、地域における当院の役割を確立することを目的として、平成28年10月から、一般病棟47床を地域包括ケア病棟として運用を開始した。